エゴ≠悪者 「圧倒的エゴ」の美しき導き
常々感じていた、エゴ=悪者という図式への違和感が多少、言葉にできるようになったので綴っていく。
◆エゴって、本当に悪者?
あなたにとっては、どうだろう?
エゴって悪者?嫌なもの?消すべきもの?コントロールしなきゃ?
そう思わざるを得ない側面もあるのだけど、エゴには段階がある気がするのよね。
階層というべきか。
「エゴ=手放すべき悪者」って昨今、言われがちで、エゴの手放しは、一見すると綺麗に悩みが解決したような気になる。
でも、それだと自分の内側にある「強烈な美学」や「叶えるべき望み」まで一緒に殺してしまう事があるから、どうしても胃のあたりに違和感が残る。
●浅いエゴ
不安や恐れから「相手をコントロールしたい」「損したくない」とこねくり回す執着。
→【状態】世界と戦い、疲れ果てる。
●圧倒的エゴ
「これが私の美学だ」「この真実を世界に置く」という純度の高い意思・美学。
→【状態】自分の圧倒的な意思を打ち立てた上で、結果は世界に丸投げ(サレンダー)し、クリエイトする。
「エゴを消す」のではなく、「エゴの純度を極限まで上げて、世界にドカンと差し出す(サレンダーする)」。
それが自分好みの世界の創り方。
◆Surrender (サレンダー/降伏)とは
サレンダーについても書いておこうかな。
<Surrender (サレンダー/降伏)の語源と成り立ち>
語源は古仏語(古いフランス語)にあります。
・sur-(〜の上に、〜を超えて)
英語の「over」や「above」にあたる接頭辞。
・rendre(渡す、返還する、差し出す)
英語の「render(与える・表現する)」の元になった動詞。
この2つが合体して、「Surrendre(完全に引き渡す、差し出す)」という言葉が生まれました 🚪
Google Gemini
そして、サレンダーは「負けを認める・諦める」というより、自力を手放して、自分の頭の外の力を呼び込む感じ。
敗北(Defeat)ではなく「手放し(Release)」、そして委ねる( Surrender )
「自分の小さな頭(浅いエゴ)でなんとか操作しようとするコントロール欲」を手放し、より大きな流れ(全体・世界・潜在意識)に自分をあけ渡すこと。
「抗うエネルギー」からの解放
「こうじゃなきゃダメだ」「なんとか変えなきゃ(Fix)」と波に逆らって泳ぐのをやめて、プカプカと波に浮かぶ状態。
◆圧倒的エゴ×サレンダー
エゴを手放す=サレンダーではあるのだけど、圧倒的エゴを持っていると、より純度の高い巨大なサレンダーを起こせる。
- 降伏するための「差し出す器」になる
そもそも「渡すもの(エゴ)」が小さかったり不透明だったりすると、世界に何をゆだねていいのか分からない。
「私はこう世界を捉えたい」「これが私の美学だ」という強烈で圧倒的なエゴ(個の起点)があるからこそ、それをそっくりそのまま巨大な流れにドカンと「差し出す(Surrender=完全に渡す)」ことができるんだよね。 - 「自分の矮小なコントロール」を諦めさせる
エゴが中途半端だと、「相手の感情をコントロールしよう」「自分の力で集客を操作しよう」と浅いノウハウ(やり方)に固執してこねくり回してしまう。
圧倒的なレベルまで磨かれたエゴ(知性)は、「自分のちっぽけな頭で捏ね上げた操作なんて、巨大な世界(全体性)の巡りには到底叶わない」という真実を一瞬で見抜く。自分の限界を悟るからこそ、「降伏(サレンダー)するしかない」と一段上の降伏が起きる。 - エゴが「純度の高い意図」へと昇華する
サレンダーした後のエゴは、自分を縛る「執着」から、世界を遊ぶための「純粋な意図(ベクトル)」へと変化する。
・サレンダー前のエゴ: 「私を評価して!早く買って!こう動いて!」(執着・葛藤)
・サレンダー後のエゴ: 「私はこの美しい世界観をここに置く。あとは世界よ、好きに料理してね」(意思表示+委ね)
「自分の強い美学やエゴ(=真実を自分で選ぶという意思)」を最大限に発揮した上で、「で、どう叶えるかは世界に丸投げ(サレンダー)!」と降伏する。

◆最後に
浅いエゴと圧倒的なエゴの違いのイメージは、船。
小さい船だとフラフラ、波や風に振り回される。
けど、大きなクルーズ船とかなら波に煽られても、どっしり、真っ直ぐ目的地に向かう。
船内でパーティーやカジノして、シャンパン飲みながら。


