私を いじめ てたあの子と友達になった話
今日は、フライデーの昔話を( ˘ω˘ )
プロフィールでもお話しましたが、
その昔、フライデーは いじめ られていました。
そのいじめっ子の一人とは、
不思議な事に、今は友達になっているんですねー。
どんな経緯があったか、どんな気持ちだったか。
お話をしていきたいと思います。
いじめっ子を許せよ、とか、
そういう話をするつもりはありませーん。
単に、サンプルを一つ増やしたいだけ。
こんな人もいるよ、ってね。
*
【いじめの始まり】
あれは、私が中学2年生の時でした。
クラス替えをして、いくつかの友達グループができ、
なんとなく固まってきた5月。
それまでバスケ部で部活三昧だった私は、
2年生で部活を変更し、
「これから、たくさん遊べるぞー!」
と、ワクワクしていました。
まあ、この頃から遊び好きなんですね(笑)
クラスの中でも派手な子たちが集まるグループに入り、
それなりに仲良くしていたつもりでしたが、
ある日を境に無視をされるようになりました。
当時の言葉でいうと、ハブ。
今では使わないのかな(笑)
始めは、“あれっ、聞こえてないのかな”って
声を大きくして話し掛けたけど、
そういう事じゃなかった。
“あぁ、ハブされたんだ”
って気付くのに、そう時間はかかりませんでした。
それでも、そのグループの中で一緒に帰っていた
一人の子だけは、ハブとは関係ないと思って、
「Aちゃん、帰ろう~♪」
って、いつも通り放課後、声を掛けました。
その時、その子は困ったような顔で返事をせず、
そうこうする内にグループの別の子が、
「A、行くよ!」
って言って、私には何も言わずに二人は去って行きました。
この時のやり取り。
彼女たちの表情。
絶望感。
今でも、忘れられません。
グループにハブられただけでなく、
個人的に繋がりを持っていたと思っていた
Aちゃんにも拒絶されたんだ、と目の前が真っ暗になりました。
*
【存在しちゃいけない私】
そうなるともう、学校は楽しくもなんともない、
むしろ毎日地獄のような苦しみを感じていました。
殴られたり、言葉の暴力があったわけではない。
でも、私にだけ見えない壁がある。
クラスのどこにも居場所がない。
話しかけちゃいけない。
輪に入っちゃいけない。
楽しんじゃいけない。
目立っちゃいけない。
大勢の人がいる中で、とんでもなく孤独でした。
自分は、不要な人間、あるいは毒成す人間なんだ。
そんな下地が着々とでき、自己肯定感は
底辺の更に下まで落ち込みました。
みじめで、みじめで、恥ずかしかった。
この頃から、人に話す話題やタイミング、
表情や人の顔色など、常に考えて会話をするようになりました。
本音や自分らしさなんかより、
独りになる事が、また拒絶される事が、
何よりも怖かったのです。
その下地は、自分と向き合って
自己肯定感が上がった今でも、時折顔を覗かせます。
ま、今では向き合い方を知っていますけどね(^_-)
*
【高校、そして大学へ】
私は、中学から私立に行っていたので、
クラス替えはあれど、高校も大学も同じメンバー。
高校1年生になって、またAちゃんと同じクラスになりました。
いじめっ子だった、他のメンバーはいなかったので、
なんとなくまた同じグループでお弁当を食べたり、
放課後、街で遊んだりしていました。
もちろん、私はモヤモヤを抱えたままで。
それでも独りになるよりよかった。
高校2・3年はAちゃんと別のクラスでしたが、
大学で同じ学科になりました。
さらには、サークルも同じ。
私達のサークルは誰でも入れるものではなくて、
一応セレクションというか、
サークル側が新入生を選んでいました。
彼女も私も選ばれたと分かった日、
Aちゃんから電話が。
「私、このサークルに賭けてるから、
邪魔しないでよ!!」
電話を切って、呆けてしまいました。
邪魔って何?
賭けてるって何を?
私達、もう随分仲良くなってきたんじゃなかった?
“まだ続いてるんだな・・・。
私はまだ、許されていないだな・・・”
そう思って肩を落としました。
でも、もうその頃には傷つきもしたけど、
ちょっとバカらしくも感じていて、
“まあ、いいか”って放っておきました。
*
【楽しかったサークル生活】
初めの半年ほどは、
彼女は私の悪口を流布していたらしいですが、
女子校だった中高のように女の子だけではなかったし、
色んな人がいたので、幸い楽しくサークル活動をできました。
大学に入って、私も彼女も
少しずつ内面が変わってきた気がします。
サークル活動や大学での生活を経て、
表面上は、随分仲も深まってきました。
お互いの彼氏の事や将来の事、
日々のくだらない事やアルバイトの事。
色んな話をしました。
でも、私はまだ心のどこかで線を引いていました。
それが伝わっていたのかもしれません。
大学4年生のある日、仲間内でお酒を飲んで、
皆酔っぱらっていました。
帰り道、Aちゃんと二人になり、
話をしていると、急に
「フライデー、ごめんねぇぇぇぇ」
と泣き出したのです。
何の事かと思っていると、
「今までずっとひどい事して、本当にごめん!」
と続きました。
“あぁ、この人は今、中学の事や
サークルに入った時の事を謝ろうとしている”
と酔った頭で、妙に冷静に考えていました。
「あの時は、私も色々あって・・・ヒック。
ほんと、サイテーだなって思うんだけど・・・ヒック」
彼女の懺悔が始まりました。
「許される事ではないけれど、許してほしい。
本当にごめん」
彼女は、物凄く謝っていました。
彼女の考えつく、あらゆる言葉を使って、
謝罪をしようとしてくれました。
けれど、心が。
私の心は、反応できませんでした。
その時は、何も言わずに家に帰ったのです。
大学4年生。
14歳だった私は、22歳になっていました。
*
【許せない】
この時の日記には、こう記してあります。
「申し訳ないけど、許す事はできない」
傷つけられた方は、一瞬じゃないんですよね。
14歳から、ずっっと血を流しています。
それを許してほしいなんて!!!
・・・って、思っていたんですけどね。
不思議とこの謝罪から、私の心は少しずつ変わっていきました。
“もしかしたら、ずっと謝りたかったのかな”
“でも怖くてできなくて、
お酒の力を借りて言えたのがあの日だったのかな”
“でも、到底許せないけどな!”
って、想いがグルグル回りながら、
気付いたら許していたというか、
そんな大袈裟なものでもなくて、
自然とスッとわだかまりが消えていました。
あれっ、どこ行った?
って感じで(笑)
多分ですね。
私は、許したかったんですよ。
人を憎み続けるのって、しんどいんです。
憎みたくない、でも許せなくて苦しかったんです。
そのステージから降りるきっかけを、
彼女がくれました。
8年かけて上った階段を、一歩ずつ降りていきました。
*
【おわりに】
ステージを降りてからは、
互いに肩の力を抜いて付き合えて、
とても楽です。
なんだかんだ、中学からの付き合いですからね。
22年ですか!数えて、ビックリ(笑)
もう人生の半分以上を彼女と過ごしているわけです。
結婚や出産といったライフイベントを迎えて、
(私は出産してないし、2回結婚したけど・笑)
それぞれの人生に色んな事があるけれど、
笑い合っていける友達がいる事は、本当にありがたいです。
中学生の頃の私には、こんな未来は予想できなかった。
毎日、死にたいと思っていた。
でも、あの頃の私が頑張ってくれたから、
足掻いてくれたから、
今の私があるし、これからの私があるんだなーと
じんわり感じます。
冒頭に書きましたが、今日の話は
何かの教訓のつもりで書いたものではありませーん。
全ての人を許せよって話でもありませーん。
私にもまだ、許せない人がいまーす(笑)
でも、こんな人もいるよって。
こんなケースもあるよって知れたら、
今度はこれが誰かのステージを降りる
きっかけになるといいよなぁ、なんて。
日の傾きの変化に、夏の終わりを感じる今日。
ふっとセンチメンタルな気持ちになって、
昔話を綴ってみました🐑