なんで 人 と ぶつかる の!?と思ったら、自分の中で対立してた
今日は朝から、盛大におっととやり合いましてね(笑)
テーマは、親戚との食事会!
皆さんのご家庭でも話題になりますでしょうか~。
今回、我が家で話になった食事会は、
定期的にあるものではなくて、スポット的な会。
始めにおっとから話があったのは二週間ほど前。
瞬間的に二つの想いがよぎりました。
“行きたくない”と“行けるかも”。
基本的に私は、
人と会う=100%楽しいというタイプではないです。
楽しい人もいるし、楽しくない人もいる。
相手に寄らず、時と場合にも寄りますしね。
だから、人と合う話は相手が誰であろうと
ちょっと構えます。
特に過去の経緯から、おっとの親戚とは
楽しい会にならない可能性がありました。
でも、行ってしまえば“心配は杞憂で楽しかった♪”
なんてパターンもたくさんあるんですよ。
だから、“行けるかも”の方を信じて「行く」と伝えていました。
*
ところが日が経つ内に、段々と私にとって
憂鬱になる要素が増えていきます。
参加する人が増えたり、昼間だったのが夜になったり、
会の時間自体も長くなったり。
おっとは親戚に会うのが手放しで嬉しいですから、
その変更は“些細な事”なんですね。
もちろんおっとに悪気があるとは思ってないし、責めたくもない。
でも、ここでムクムクと顔を出すあいつ(笑)
そう、「他人軸」くんですー!
“なんで、勝手に変更するんだろう”
“なんで、最初の時点で断ってくれなかったんだろう”
それから、どんどん悪い想像をしてしまう。
“行って、「また嫁としてふさわしくない」とか言われたら、どうしよう”
“おっとがあちら側に付いたら、どうしよう”
“あまりに腹が立ったら、途中で帰っていいのかな”
もう、想像力が豊か豊か(笑)
それで、「行く」と「行かない」の間をフラフラして、
おっとにも伝えてしまいます。
「あの人は、こういう事言わないかな?」
「こうなったら、おっと君はどうするの?」
・・・知らんがな(笑)
こんな言い方されたら、誰だっていい気しないですよね。
おっとにとって大事な親戚を疑うわけですから。
当然、そうなると対立!
今回の話だけでなく、他の話までぶり返しちゃって、
さぁ大変(*_*)
最終的に、「行く」という事に私が決めて落ち着いて、
また不安がぶり返して揉めて、
「行く」と言って・・・を何回か繰り返しました。
おっとはね、「行かなくていい」と言ってくれるのに、
なぜか私が「行く」と言って引かない、妙な構図。
*
で、今朝。
また「行く」「行かない」。
話が途中のまま、家を出てしまったので、
心の整理のために「行きたい理由」と「行きたくない理由」を書いたんですよ。
携帯に。
「行きたくない理由」は簡単でした。
怖い、の一言。
もちろん「また心無いこと言われるかも知れないから」
「話を合わせて心が苦しくなってしまうから」っていう、
「○○だから」という冠は付いていて、種類はいくつかありますが、
行き着く先は一つ。
怖い。
あー、自分も随分変わったなぁって思いました。
昔は、この気持ちに辿り着くのが本当に下手でした。
「○○だから」に目がいって、感情が見えない。
怖いと思う正当な理由ばかり探していました。
それがないと、怖いと思っちゃいけないって。
他人から責められると思ってね。
*
それから、「行きたい理由」。
並べてみたら、これがまぁ見事に人の事ばかり(笑)
「おっと君の希望を叶えてあげたい」
「おっと君の親戚だから会ってあげたい」
「相手(親戚)の気持ちを無下にしたくない」
「大丈夫だったという経験を積むチャンス」
最後は、ちょっと自分に向いたかな。
書いてる途中で、
“こりゃ、ムリだ。行けない”って気付きました。
自分が行きたくないって思って、
他人が行かなきゃって思ってたんだ。
つまり、自分の頭と心が対立していたんですね。
それでずっとモヤモヤ。
そして、それに気付かせるために
『おっとと対立』という現実を引き起こしていたんです。
あー、気付いてよかった。
そうやって、携帯を使って自分と向き合っている中、
おっとから連絡が入ります。
「断っておいたよー。相手は明るく返事が来たー。迷惑掛けて、すみません」
なんという、タイミング(笑)
と同時にね、湧き上がる罪悪感。
“最初から断っておけば、おっととも揉めなかったのに、
いい人になろうとして他人軸になってさ。
おっとに謝らせて満足??
あんだけ自己肯定感!自己肯定感!って言ってて、
自分でできてなきゃ説得力ないよね”
おー、さすが自分イジメの天才♪
ところが今は、カウンセラーになっているんで、
セルフ・カウンセリングができるんです。
上記の事が頭を巡り始めても、
“まぁ、しゃーないよね。過去にあんな事があったんだから、怖いよ。
てか、ホントいい人だよね。
自分を犠牲にしてまで、頑張ろうとしたんだから。
さらに、罪悪感まで作っちゃって。ドMちゃん(笑)
おっと君が謝ると思ってなかったから、
キツい言葉も使っちゃったね。あの時は仕方なかったよ。
これから、たっぷり愛を送ろう。
自己肯定感、できない場面もあるよねぇ。
でも、今までより全然できてるよね。
立ち直りも早いし。
何より、ブログのネタができてよかったじゃない(笑)”
って。
自分で自分と対話して、一つずつ感情と自分を肯定していきます。
すると、“そうねー、しょうがないか。それが、私だもんなぁ”という所まで、
感覚レベルで思えます。
いつもの通り、順番を間違えないでね。
感覚や感情が先。
“それが私って思わなきゃ”ってならなくて、大丈夫。
「それが私」って言葉がしっくり来ない時は、
まだ見つけられていない感情が拗ねているんでしょう。
探して、見つけて、対話、肯定、受け入れる。
*
こうした作業が、始めは一人では難しいです。
誰かのサポートが必要。
今まで生きてきた経験があるので、
思い込みが邪魔してしまうんですねー。
そこを、他の人を使って違う視点を持ってみる。
それが、カウンセリングでできることです。
あっ、今日は完全にステマ記事になってしまった(笑)
カウンセリングでは、こんな事をやりますよ⇒